杜埜不月

 杜埜不月(もりの・ふづき)です。

縁あって文藝同人無刀会へ参加させていただき早二、三年。それまで物書きということをろくにしたことのなかった私ですが、空華第八号での「十九の夏」という処女作の発表以来、同人の皆さんの助けを借りながらぼちぼちと作品を発表させていただいております。そんな中で、ひとつの作品というのを仕上げるというのも骨の折れる作業であるな、と痛感しつつあります。

さて自分自身の人生は、と申しますと。割り切れないものを抱えつつの、もがきながらの青春時代を経て、長期引きこもり生活、そして気がついたら現在四十路近くというわけで。なんだかひとりで勝手に足掻いているうちに、社会に置いてきぼりにされた感はあります。

そういうこともありまして、文学における興味対象分野としても、処女作からそうであったように「青春」というキーワードを外すことはできません。また、自分の高校時代には当時鬼籍に入られた頃の星新一先生のショートショートを読みまくったこともありまして科学創作にも興味はあります。

小説ひとつ書くということは、ひとつの人生経験をするということだ、と思っております。自分の経験し得なかった人生、あるいは経験し逃した人生、はたまた現実にはおくることが難しいであろう人生も小説を書くことで実現できるというわけである、と思っております。

今後も多種多彩な作品を書いていって、物書きとしての経験値も上げつつ、自分の人生をより彩り豊かなものにしていこうと思います。

杜埜不月さんは、僕(大坪)の職場のもと同僚です。僕が退職したあとも、ずっとその会社で精勤していらっしゃいます。

杜埜さんが参加してから大分たちましたが、彼は小説をあまり書いたことがないといいながら、いきなり100枚越の長編を執筆したり、純文学をこともなげに創作したりする、才能のある人です。

僕の見解では、才能というものはたかだか先天的特質といった程度の意味でしかなく、杜埜さんは割合文章を書く素質があったのだと思います。なので、謙虚に一層、自分の特質たる個性に磨きを掛けて、素晴らしい作品を作って戴きたく思っているところです。

彼は、大の猫好きでもあり、作品にも猫が登場することがあるのはそのためです。猫好きの小説家は多いので、猫と小説家は相性が良いのかもしれません。そう言う意味でも、彼は小説家に向いているという境遇かも知れません。