日野一歩

春日井建と運命では、かたづけられない出会いをして短歌への道に進みました。

北米で英語を習得、帰国後通訳者として都内勤務、名古屋へと転勤となり運命ともとれる師 春日井建と出会いました。それも英語を教える自分と生徒の建となり、全く有名な歌人ということは知らずに何年も経ち知る事になるのです。

門下として歌を詠み公私を問わず建の秘書として接していました。

ですので、13名の門下の内、建のプライベートを知るのは自分だけで建の作風の背景、三島由紀夫との師弟関係など深い所まで知っていますが、公にできるものできないものがあるので、墓場までもって行く事にしました。

日野一歩という名前は建が命名してくれたもので、特に「一歩」という名前は、建自身の歌の作品の中から拾われたのは、私の宝です。


ほしいまま放ちやらむに一歩一歩われの射程を歩めるもの

「行け帰ることなく」(第二歌集)/1970年/浅い朝


一歩一歩の梯子をのぼりゆく堕ちなむ距離を拡げむとして

「青葦」(第四歌集)/1984/飛び込み


から引用したもので、1970年三島由紀夫事件が発生した時代です。建は当時32歳アメリカへと旅立っていました。何か因果を思わずにはいられません。

私の歌は、口語発想古語と口語を融合させたもので、一首の中に哲学的、文学的要素、師の教えの技術的なものを取り入れ、残心が残る余韻をもたせています。コミカル調や軽いもの深いものまでバリエーション豊富です。

本業の間に歌評、コラム、小説と幅広く書き一日中、活字まみれになっています。短歌同人誌『ひさかたの』にお誘い頂き創刊号に寄稿しました。

皆さん宜しくお願い致します。