「千代の竹」柴原逸著
第六回空華文学賞は、令和5年の秋に募集を開始し、12月31日に締切られました。総数にして、15篇の御応募が御座いました。平均枚数は、100.00枚でした。応募作品は以下の通りです。一次選考通過作品は○を、二次選考通過作品は◎を、受賞作には★を、それぞれ付してあります。受賞作は、左の画像リンクから詳細を御覧下さい。
スピーチレス | 美佐直秀樹 | 132枚 | |
セックスとメッシ | 小川葉一朗 | 93枚 | |
千代の竹 | 柴原逸 | 133枚 | ★ |
幼なじみ、再瞬ローカルネットワーク | カムナリオ | 144枚 | |
ゆず | 晴 | 150枚 | |
私立幸田高等学校よろずやクラブ | 安田マリコ | 88枚 | |
ロックン・ロール・サーカス | 吉田英也 | 116枚 | |
アンチ・ボーイ、ノット・ガール | 桜井直樹 | 105枚 | |
見送りの午後 | 小原友紀 | 101枚 | |
ラストホリデイ | 渡辺秀康 | 101枚 | ○ |
破廉恥なパレンキマ | 柏木サツキ | 58枚 | ○ |
40歳のラブレター | 中村卓 | 74枚 | |
探し物 | 守宮槐 | 103枚 | ◎ |
かていかれし | 森田真 | 50枚 | |
サイバー鏡新明智流、免許皆伝の巻 | 竹尾練治 | 52枚 | |
第六回を迎えた空華文学賞でしたが、総評としては、今回はあまり同人好みの作品が集まらなかったなという感想です。
応募総数としては、第四回、第五回とそれほど変化なく、普通でしたが、下読みを務めた大坪の好みもありますが、第二次選考に残せる作品が、4作しかなかったというのは、少し寂しい気がします。文章力については、それなりにこなれた表現の作品も多く、低いとばかりは言い切れないのですが、これといった煌めきのようなものが見受けられないものが多かったです。纏まってはいても、読者を圧倒するようなパンチ力が、もう少し足りないような気がしました。
そのような中で、4作品残しましたが、選考に残ったものでも、選考係全員は理解できない作品が多く、好みがぱっくり分かれました。一人が推しても、ほかの選考係は評価が低いという事態が起りました。
その中で高得点を付けた2作を最終選考に残し、じっくり討論した結果、必ずしも最高の作品という点数は付きませんでしたが、三人ともそれなりに良さを認めた作品として、「千代の竹」が選ばれました。
歴史小説としては、空華文学賞はじめての作品で、同人としても、間口が拡がり喜ばしいことです。
柴原様、おめでとう御座います!
空華文学賞にも、今まで幾つか歴史小説は送られてきましたが、その中では最も興味深い小説でした。
お麗の書いた著書の素晴らしさが、マクガフィンのように内容が詳述されずに描かれているのですが、それが功を奏して、お麗の文才が天才的であるかのように描くことに成功しています。それで、本当にこんな人物がいたのだろうか? と、安易ながらググってみると、確かに慶徳麗子なる情報が得られて、実在の人物だったようです。下手をすると、嘘くさいところもあり、時代劇のように創作されたヒーローなのかとも思わせるのですが、実在したとなれば、「池の藻屑」など、ぜひ読んでみたくなります。
大阪の書林に行って、絵付きでないと出版できないとか言われる当たりは、いつの時代の話かと現代の出版社に対する風刺すら感じるために、また、似顔絵を出して女流として売り出すことを断る場面には、現代に流布するフェミニズムすら感じられるために、どこまでがその時代の本当なのかということが訝しいところがあるのですが、この作品には、リアリズムよりも寧ろ作品性を大切にしたくなるような、唯一的な興味深さがあるために、そのようなこともそれほど気に掛からない。嘘なら嘘でも一向に構わない気がします。
お麗が、そのあとに自分の原稿を焼く件りは、歴史の皮肉を強く感じさせて、感慨深いものがあります。また、史実に基づいているのかもしれませんが、本居宣長から添削が届く場面は、権威に認められずに名を広めることができなかったために、マイナーな文士でいなければならなかったという、現代の多くのアマチュアが感じる理不尽さに通づる反骨的テーマがよく感じ取られ、選考係も強くこころを惹かれました。
作中で語られるような、過去と今を繋ぐための文学ということが、実際に描かれるお麗の生きざまに出ていて、お麗の直面した問題は、少なくとも現代の多くの小説家の卵が抱えている問題として、共有できるものです。時代を超えたテーマを、お麗は生きたことになります。
ただ、最後に佳包を得ることで、子育てに自分の志が奪われたようになり、子育てにより時代を繋ぐことに勤しむようになったように描かれています。ここは、反骨が萎えたようにも思われますが、歳を取り子を得るということは、そういうことなのかもしれないとの、人間と家族のテーマも、併せて描かれているようにも思います。
一つ、残念に思ったのは、題名についてです。おそらく、お麗の実際の歌を引用したのでしょうが、「かけ初る願の糸や千代の竹」という俳句が、どうも取って付けたように感じられて、そこから取った題名も、しっくり収まっていないような気がします。千代の竹は、この場合、時代を継ぐ人類にも準えることができるものですが、そのように深い意味を充分感じさせるために、もう少しこの句を詠まれた背景を、創作して描写して欲しい気がしました。お麗は、どのような気持ちで、この句を佳包に読んだのか、そこが、もう一押しほしいと思ったところでした。